記録より記憶に残る?あの“クソゲー”の魅力とは

メジャー Wii パーフェクトクローザー

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ファミコン発売から20年以上が経ち、家庭用ゲームではそれこそ星の数ほどのタイトルが発売されてきました。その中には、「ちょっとコレは」と首をかしげたくなるようなデキの、いわゆるクソゲーと呼ばれるものもあります。


しかし、そんなクソゲーはなぜか人を魅了し、クソゲーにまつわる本やDVDも発売されています。一体なぜ、ゲームとしてはデキの悪いハズのクソゲーが、それほど人を魅了するのでしょうか? 『超クソゲー』などクソゲーにまつわる多数の著書がある多根清史さんに、クソゲーの魅力について聞きました。


クソゲーってデキが悪いというより良さが分からないと表現した方がいいと思うんですよ。僕たちの文化や常識で考えれば良いところが見つからない、ごめんなさい!っていう。プログラムの技術や絵が稚拙だったとしても、生半可じゃデキが悪いゲームというだけ。とことん突き抜けていないとクソゲーとは呼びたくありません。そこに何かが降ってきて、どうしてこうなった!? と作為を超越した神々しさに手を合わせたくなるものがクソゲーと呼ぶに値するんです」


とにかく常識を超えた、ゲームの常識を覆すほどのインパクトがないと、クソゲーたりえないと。深いですねえ(笑)。


「その意味で、クソゲーは人がプレイしてあきれかえることで、初めて完成するんですよ。理不尽なシステムに苦しみ、オマエはどうしてクソゲーなんだ? とプレイヤーがゲームに問いかけたくなるような、1つのゲームに、ありえないほど苦労する体験こそが、クソゲーの魅力なのではないでしょうか。僕らのクソゲーレビューも、実は七転八倒している俺たちの体験記なのかもしれません。最近は動画サイトで簡単にクソゲーのプレイ動画を見ることができますが、クソゲーはおいしいところを切り取ったものを見るもんじゃなく、体験しないと。皆さんにも、多くのクソゲーを買ってプレイしてもらいたいですね!」

他のゲームでは味わえない苦労自体がクソゲーの魅力。だとすると、確かに自分でプレイしない限りその魅力は味わいつくせません。ばんばん買うのは気が引けますが、プレイ中に何度も心が折れそうになるクソゲー体験記は間違いなく話のタネになる! ハズ。


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